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尚州の歴史

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現代

尚州の歴史

1945年以降、私たちの地域は政治・経済・軍事などの中心地としての座を手放す事になってしまいました。それは産業化に伴う交通手段である鉄道網が私たちの地域を通らず、洛東江を利用した水運もまた鉄道にその役目を取られてしまいました。また商工業の発達に付いて行くことができず、農業地域として取り残されたことが街の衰弱の要因でした。


1949年7月4日、法律第32号として公布され同年8月15日に施行された地方自治法により、地方行政組織は特別市、道、市、郡、邑、面、里、洞となりました。


1966年7月1日、牟西面西出張所など5ヶ所の出張所が設けられ、尚州郡利安面猪音里が聞慶市加恩邑に編入され、1979年5月1日尚州邑に中部など4ヶ所の出張所が設けられた。


1980年12月1日咸昌面が邑に昇格し、1986年1月1日尚州邑が市に昇格した。1989年1月1日尚州郡咸昌邑允直里の一部(允直2里)が店村市に編入され、同年4月1日化北面南部出張所が化南面に昇格した。


1995年1月1日、市・郡が都農複合市に統合され1邑17面7洞になった。


1995年7月1日、民選1期の地方自治が実施され、1998年7月1日に民選2期の地方自治が始まった。


1998年10月12日、行政区域の統合・併合により中央洞が東門洞に編入され、1邑17面6洞になった。